岡山ジム主催興行に向けての選手インタビュー特集です
第8試合 幸輝興業株式会社 presents INNOVATIONスーパーウェルター級王座認定試合 3分5回戦(延長1R)
吉田 英司(ヨシダ・エイジ/クロスポイント吉祥寺/INNOVATIONスーパーウェルター級2位、REBELS-REDスーパーウェルター級王者)
喜多村 誠(キタムラ・マコト/ホライズン・キックボクシングジム/元日本ミドル級王者)
2021年1月17日「JAPAN KICKBOXING INNOVATION 認定 第7回岡山ジム主催興行」でINNOVATIONスーパーウェルター級王座認定試合に出場する喜多村 誠の特集インタビューを公開させていただきます。
取材・文:JAPAN KICKBOXING INNOVATION広報部
——元来、INNOVATIONスーパーウェルター級王座決定戦として行われる予定だった吉田英司×高木覚清が、昨年末、高木選手の負傷により消滅危機だったところ、試合3週間前を切った直前オファーでまさか喜多村誠選手ほど実績のある大物が代打参戦されるとは驚きました。
元旦のオファーでした(笑)。
——それを受けることのできる喜多村選手の胆力とコンディションに驚きます。
岡山ジム主催興行、毎年でっかい規模でやられていて凄いなって憧れがあったんです。T-98選手が世界戦(※1)されたりしていましたよね?
——喜多村選手は、2018年10月21日、新日本キックボクシング協会の後楽園ホール興行においてT-98選手を飛び肘下ろし打ちの大技で4ラウンドTKO勝利を収めています。
「自分に負けたすぐ後の試合で世界戦のチャンスがあるっていいなー」って羨ましく思っていただけに、その岡山ジム主催興行から声がかかった時は、とっても嬉しかったです。
——吉田×高木は、INNOVATION(JAPAN KICKBOXING INNOVATION)認定の王座決定戦だったので、(INNOVATION団体加盟ジムのみ対象のタイトル故)吉田選手が勝てば同王者となりますが、喜多村選手が勝利してもそうとはなりません。
それは当然心得ています。けど、うちのジム(ホライズン・キックボクシングジム)が、昨年、長年お世話になった新日本キックボクシング協会を脱退してフリーとなって、自由に試合ができるようになった今、REBELSチャンピオンの吉田選手と戦うことができるのは望むところなので、元旦だろうがなんだろうが喜んで受けさせていただきました。
——年末年始、緩みきって飲み食いだっていつも以上にされるのが普通でしょうに、このレベルの試合をすぐに受諾できる心身の在り方に驚きます。しかも喜多村選手は、新日本時代、ミドル級(72.57kg)王者だったわけで、今回はスーパーウェルター級(69.85kg)契約ですから。
毎日鍛錬は欠かしていませんからね。ウェルター級(66.68kg)に落とすのは時間もかかりますが、70kgくらいでしたら怪我でもない限り問題ありません。
——プロの凄みを感じます。昨夏までホライズン・キックボクシングジムは、新日本キックボクシング協会加盟ジムで伊原道場新潟支部だったとは聞き及んでおりますが、フリーとなって第一弾の試合が昨年11月28日、シュートボクシングの後楽園ホール興行で、70kgでは国内最強が確実視されているエースの海人選手と試合で、結果は3ラウンドKO負けと残念ながら、慣れないルール(投げやスタンディング状態での関節技や絞め技あり)に初挑戦で前方への投げを見せるなど善戦されたことにも驚きました。
自分でも「決まった!」と思ったんですが、三方向のジャッジが認めないとシュートポイント(SBルールの投げ技に与えられるアドバンテージ)はもらえないんですね。1名は支持してくれたから惜しかったです。
——柔道やレスリングをされていた?
いえ、自分は空手です。小学校ではソフトボール、中学は野球で格闘技を始めたのは高校の空手道部が最初でした。
——高校はどちらに?
九州産業高等学校です。その空手道部活動のおかげで九州産業大学に推薦入学されましたので、そのまま大学も空手道部です。年代はかなり離れていますが、同じ福岡出身の石井一成選手が大学の後輩に当たるらしいですね。
——九産大の空手道部は、国体競技の全日本空手道連盟で有名な名門校です。
全国大会は常連でナショナルチームメンバーもいますからね。
——喜多村選手もご活躍を?
自分は、高校から始めて個人でも団体戦でも県大会入賞はしましたけど、少年時からやられておられた先輩方ほどではないです。元々、格闘技を見るのが大好きで入った空手道部でしたが、試合は寸止めでしたし、K-1全盛期をテレビで見ながら「やりたいことと違う」とはずっと思っていました(笑)。
——それでキックボクシングに?
空手道部に夢中になりすぎては言い訳ですけど、それ以外、勉強などもせずに就活シーズンを逃してしまって、父親が警官だったからって警察官の採用試験を受けはしましたけど落ちちゃって、そこから自棄を起こしたわけではありませんが「なら、キックボクシングで身を立ててやろう!」って、地元のFKDファイティングスポーツジムに入会しました。
——キックに就職?
まぁ、それが甘い考えだってことは、その先、嫌と言うほど思い知らされるのですが、結果的に乙川敏彦会長という最高の恩人と出会い、元々は縁も所縁もなかった新潟でジムの代表と選手をさせていただいているのですから、それがキックに身を捧げたきっかけではありました(笑)。
——FKDジムというと九州在住で活動しWKBA日本スーパーフライ級王者など複数のベルトを巻く日畑達也選手が代表を務める?
現在は日畑君がやっていますが、自分が入門したのは創設された土谷亮会長がおられた頃です。
——土谷亮というと昭和のキックボクシング黄金期、“キックの神様”藤原敏男戦の名勝負が語り継がれる元全日本ライト級王者ですね。では、土谷会長がキックの最初の師匠ということに?
はい、基礎を教えていただいたのは土谷会長で、とても可愛がっていただきました。会長が長江国政館長(治政館館長で当時は新日本協会の役員)と親しかった関係から東京まで新日本の後楽園ホール興行を見に連れて行っていただいたのも1度ではありません。その影響もあって「東京で本格的にキックを極めたい」と代官山の伊原道場に入門しました。
——長江館長と関係がおありなら“超合筋”武田幸三が全盛期で所属していた治政館に行かれるのが普通の流れのような。
とても迷ったのですが、魔裟斗選手がいた伊原道場(※2)を選びました。
——伊原道場は、数多くの名王者を輩出している新日本キックボクシング協会の基幹ジムであり、伊原信一代表とセットで超硬派の厳しい指導が目立つ虎の穴と聞いております。
確かにそうかもしれませんけど、自分は大学空手部での経験が酷過ぎて、世間からすればとんでもなく厳しい生活に慣れていたので、正直、普通でした。
——それは、泰然自若の不動心を感じさせる喜多村選手の佇まいに大いに関連していそうです。
思い返せば、本当にお世話になったし、タイ人トレーナーも強い先輩方もおられて、素晴らしい練習環境でした。特に深津さん(元日本フライ&バンタム級王者、深津飛成)の試合前のピリピリ感は記憶に刷り込まれています。
——お話を聞けば聞くほど、これまでの超硬派道の詳細に関心しか湧きません。
まぁ色々ありましたが、大学一年生時代の過酷さに耐えられたから後は大丈夫だったのだと思います。
——それはどんな?
ちょっと言えないことばかりですが、常時の鉄拳制裁で口の中がいつも血鉄の味がしていました。試合じゃ寸止めなのに(笑)。
——そうやって培われた鉄の心あってこそ、レベルが高いことに定評がある新日本で王者になられたのだと察します。それにしてもプロ選手時代の苦節は相当もののでした。
同じ階級で後藤龍治先輩がチャンピオンでしたから、仕方なくランキング万年1位状態が長かったなどありました。それと「キックで身を立てる」と勇んで上京したのはいいのですが、日本ランカーになろうともチャンピオンになっても、到底それだけで食える状態じゃなくって、そのうち結婚して子供も産まれたので、生活の安定の為、正社員待遇の働き方が必要で、満足がいく練習ができなくなっていたジレンマが強かったですね。仕事が終わるのが遅くてどうしたってジムに入るのが21時過ぎだから、スパーリングなど対人練習ができないから、タイ人トレーナーのミット打ちだけで終わるみたいな。
——そんな中、日本ミドル級王者となったわけですね。
治政館の宮本武勇志(初期のリングネームは宮本武蔵/ミヤモトタケゾウ)選手と6度戦って、結果、自分の2勝3分1NCなんですが、2007年に連戦で2度やって両方判定ドローのところ、2009年に肘で斬ってTKO勝ちしまして、その丁度1年後、武田幸三選手の引退記念興行のメインで後藤さんを破ってチャンピオンになっていた宮本選手にタイトル初挑戦したのですが、これも判定ドローで王座は奪取できず、そのまた1年後、再挑戦で今度はバッティングのアクシデントとかでノーコンテストになってしまい同じくベルトは巻けず、その約半年後の再々挑戦、石井宏樹さんがラジャダムナンスタジアム認定スーパーライト級王者になった前の試合で、肘でTKO勝ちして悲願過ぎたベルトを巻くことができました。
——同じ相手と6度も戦い、最後に王座奪取とは苦節ドラマにも程があります。
宮本選手が生涯最大の好敵手扱いと見られがちですが、自分は一度も負けていないですからね(笑)。
——そして、勝利した技はいずれも肘打ちです。
元々は、K-1に憧れて入った業界ですけど、練習と試合を繰り返すうちに肘の魅力に憑りつかれまして(笑)。
——その魅力をお聞かせください。
本当の“強さ”を感じます。グローブで保護された拳よりも硬いのに剥き身で危険で痛くって(笑)。一発ですべてをひっくり返す怖さをリングで戦う両選手が持っている緊張感は、文字通り真剣勝負そのものです。当てる技術も必要なら、その為に踏み込む勇気も持ち合わせなくてはならない。そんなスリリングさこそが格闘技が麻薬とまで言われる理由だと自分は思います。
——そんな極限技にこだわる喜多村選手は、当然、次の吉田選手にもそれを狙う?
狙いますし、斬りますし、倒します。けど、それ以上に得意なのは蹴りですし、もっともっと自信がある最大の武器は“気持ち”です。
——これまでのお話を聞いても尋常じゃない精神的苦労をされてきた喜多村選手が口にされるブレイブハートは説得力が違います。普通なら同じ相手と6度試合のライバルストーリーなんて紡げるわけがありません。
どんなに劣勢でも絶対に勝負を諦めません。急な参戦で見知らぬ選手かもしれませんが、岡山の皆さんに自分の脚、肘、拳、そして、心からそれを感じていただければ嬉しいです。
——対戦相手の吉田選手への印象は?
試合のお話をいただいてすぐにVTRを見て、何度も繰り返してすでに「ここだな」って隙を見つけました。REBELSさんでチャンピオンになった若者ですから強いに決まっています。けど、勝つのは自分です。
——代打出場選手でここまで高いモチベーションを感じさせるファイターと初めて接しました。
昨年までは、大きな団体の傘の下にいさせていただいて護られた部分もあると思います。しかし、乙川会長からジムをお預かりしてフリーとなった今、自分が率先して後輩たちにも勝ち切る姿を見せなくては。自分が巻かせていただいた日本ミドル級王者のベルトは終生の誇りですけれど、40歳となったこれからでも、もう1本はベルトを増やしたいですから。今回の試合をそのきっかけにさせていただきます。
——T-98、ゲンナロン、喜入衆などの強豪王者たちに勝利し、海人、緑川創といった一流と拳を交え、ラジャダムナンスタジアム認定タイトルマッチまで経験してきた喜多村選手なら、無数のタイトルが混在するキック戦国時代の昨今、まだ何本でもベルトを増やすことは可能だと思われます。
いえ、そこにはこだわりがあります。海人選手や緑川選手のような本物から奪うタイトルこそが自分の巻くべきベルトです。それを実現させる為にもチャンピオンと肩書のついた選手との試合は大歓迎、強い奴とどこでだって何だって闘います!
——前回のショートボクシングルール初挑戦でその意気込みは理解できました。海人戦は、肘打ちありでしたが、K-1やRISEが大人気の中、肘打ちなしの試合はどんなものでしょう?
肘ありが嬉しいのは確かですが、RISEさんとか凄く興味があります。言ったじゃないですか。自分の最大の武器は“気持ち”だって。それがあればいつどこでどんなルールでも闘えるんです。
——地元興行のタイトルマッチが決まっていた高木選手の欠場は残念ですが、その代わり岡山ジム主催興行は、素晴らしいサムライを招き入れることとなった気がします。
まず必ず勝ちます。そこに自分の格闘技キャリア25年を込めた“気持ち”を乗せて。更に肘でも蹴りでも倒しにいきます。そんな想いを岡山のリングで燃やしますので、応援の程、よろしくお願いたします!
※1 T-98選手が世界戦 2018年12月16日、岡山武道館「第5回岡山ジム主催興行」にてWPMF世界スーパーウェルター級暫定王者決定戦でT-98×シンマニー・ゲーオサムリットが組まれ、T-98が判定0-3で敗れた。
※2 魔裟斗選手がいた伊原道場 魔裟斗はK-1世界王者になる以前、キックを始めた藤ジムを脱会して結成されたチーム「シルバーウルフ」がまだ自前のジムを持たなかった時期、伊原道場を練習拠点としていた。業界のボス的存在である伊原信一会長のジムでは、この他にもボブ・サップやルスラン・カラエフといった有名選手たちが練習をしていたものだった。その後、シルバーウルフは、渋谷区三軒茶屋の一等地に拠点を設け、現在は「K-1ジム三軒茶屋シルバーウルフ」に改名して運営されている。
リングネーム:喜多村 誠
フリガナ:キタムラ・マコト
所属:ホライズン・キックボクシングジム
生年月日:1980年7月22日(40歳)
出身地;福岡県太宰府市
身長:176cm
戦型:オーソドックス
プロデビュー:2005年7月17日
戦績:50戦33勝(17KO)9敗7分1NC
ステータス:元日本ミドル級王者
(新日本キックボクシング協会認定)