FIGHTER-INTERVIEW

岡山ジム主催興行に向けての選手インタビュー特集です

第8回 岡山ジム主催興行 白幡 裕星インタビュー

第9試合 有限会社トータルプランニングルミナス presents INNOVATIONバンタム級王座決定戦 3分5回戦 (延長1R)

 

白幡 裕星(シラハタ・ユウセイ/橋本道場/JAPAN KICKBOXING INNOVATION/INNOVATIONスーパーバンタム級4位、MuaythaiOpenスーパーフライ級王者)

 

平松 侑(ヒラマツ・ユウ/岡山ジム/JAPAN KICKBOXING INNOVATION/INNOVATIONフライ級8位)


2021年1月17日「JAPAN KICKBOXING INNOVATION 認定 第7回岡山ジム主催興行」でINNOVATIONスーパーウェルター級王座認定試合に出場する白幡 裕星の特集インタビューを公開させていただきます。

取材・文:JAPAN KICKBOXING INNOVATION広報部

 

 

——東京都出身とのことですが、市区町村まで広げると長くお住まいだった町田市出身ということでよろしいでしょうか?

 

生まれは渋谷区らしいんですよ。ヒロオってところです。

 

——広尾……余程のセレブしか住まわれていないイメージです。

 

sirahatayuusei1そうなんですか? 全然おぼえてないです。割とすぐにヒロオを離れて南千住から町田。町田の実家に最近までずっといて、今はジムの近くに引っ越しました。

 

——先日、12月27日、新宿FACEのJAPAN KICKBOXING INNOVATION(以後略:INNOVATION)興行で実兄の白幡太陽選手が1ラウンドKO勝利でプロ2戦目の連勝を飾りましたが、その他に兄弟は?

 

5コ上のお姉ちゃん、2コ上のお兄ちゃん、10コ下の弟で4人兄弟です。

 

——格闘技を始めたきっかけは?

 

兄弟ゲンカです。いや、ケンカそのものかな? 小さな頃、友達をジャングルジムから突き落としたり、ケンカ相手の傘を壊したりして、よくお母さんが学校に呼び出されてました。

 

——かなり剣呑です。 

兄弟ゲンカって言ってもあの頃の2才上ってかなりデカいんで、お母さんはお兄ちゃんに「裕星が何をしてもやり返すな」と睨みを利かせていたみたいです。だから、反撃はされなくて。

 

——なら、喧嘩にはならないのでは?

 

 

わざと殴らせて耐えられるなんて嫌だったから、もっとガチにダメージを与えてやりたくって。それでドラゴン道場(表記は龍道場、プロ名はチームドラゴン)に入りました。

——あまり他に聞かない理由です。

 

お母さんは「うちで喧嘩するならジムに行きなさい」って理由で勧めたみたいだけど、実は(笑)。

 

——空手道や剣道、柔道などではなくキックボクシングジムを選んだ理由は?

 

顔を殴るのが好きだったんで。

 

——悪ガキもここに極めり?

 

イジメとか盗みとか悪いことはしないですよ。けど、お兄ちゃんも一緒にジムに入ったんで、またすぐにケンカになって、すると佐々木先生兄弟(※1)がボクだけスッポンポンにするんですよ。

 

——スッポンポンは丸裸?

 

完全なフル●●です。

 

——どうかすると虐待で大騒ぎになりかねない大胆なペナルティです。

 

けど、女の子がいたわけでもないし、●ンポだけ隠して、物陰に隠れながらそれでも兄を攻撃し続けました(笑)。

 

——そんな目に遭ったら二度とジム内でふざけられなくなったのでは?

 

いえ、それでも言うことを聞かないのでスッポンポンの刑はしょっちゅうでした(笑)。

——それが頻繁なのも驚きながら、少年・白幡選手がジムで激しく可愛がられていた様子も窺えます。

ドラゴン道場では、前田(憲作)先生をはじめ、たくさんの先輩に本当にお世話になりました。細野(岳範)先生、(梶原)龍児さん、(藤本)京太郎さん、武尊さん、(卜部)弘嵩さん。そうそう、(卜部)功也さんは特に練習でも試合でも超カッコよくってヒーローでした。右利きのオーソドックスだったボクが功也さんの真似をしてサウスポーにチェンジして、それを指導してもらったり。林健太さんとは特に仲が良くって、練習もご飯も遊びもよく一緒でした。チャリ通学の帰り途中でジムに行くボクと二人乗りで駅まで行くのが毎日みたいな。

 

——お聞きするだに今を時めくトップファイターや往年の名王者たちと明るく楽しい青春の日々が眩しいほどに感じられます。ところで避けては通れないことだと思うので、踏み込んだことをお訊きします。2016年秋、所属する大半のプロがチームドラゴンを一斉離脱した事件は業界を騒然とさせました。白幡選手もその只中だったのでは?

 

中3の9月25日の朝、Twitterを見て驚きました(※2)。「なんでだろ!?」って。

——日付まではっきり覚えられているとは。日課であるジム練習、当日はどんな具合だったのでしょう?

 

ボクにとっては特に変わったこともなかったんです。前田先生と平塚(大士)先生が子供クラスを普通に指導していて。

 

——では、その後も変わることなく練習が続けられた?

 

いや、中3だったボクは、色んなプロの先輩たちと練習したり指導していただいたりしていたので、まるで環境が変わってしまいました。けど、脱税した先輩たちだって、それぞれ大切な何かを守る為だったんだろうし。

 

——脱税した先輩たち?

 

はい、とても悲しかったです。

 

 

——ダツゼイ?

けど、K-1で皆さんが活躍している姿は、ボクにも励みになります。

 

——すみません。ダツゼイではなくダッタイ(脱退)では?

 

えっ……そうでしたか(汗)。ともかく、それでドラゴン道場をやめたかったわけじゃないけど、強くなる為には環境を変えるしかなくなってしまいました。

 

——それにしても今の白幡選手を形成するにあたり重要な約10年間、龍道場時代でキックボクサーとしての土台が築かれたわけですね。時間を戻して初試合の思い出を教えてください。

 

最初は、毎日通っていたわけじゃなかった小2で顔面パンチなしの空手(新空手道のK-4ルール)の試合に出て反則負けしちゃったんです。

 

 

——顔面を殴るのが好き過ぎて?

先生からルールを言われていたはずですけど分かってなかったんでしょうね。なんで反則なのか不思議でした。けど、“負け”ってとんでもなく悔しくて。それで遊びの練習から熱心な稽古に気持ちを入れ替えて、小3の夏休みには朝夕二部練をやりきって、その次に出た顔面パンチありの初試合で勝てたんです。そしたら、もう気分はチャンピオンにまで跳んじゃって。

 

——そこから現在まで一気に?

 

いや、自信満々で臨んだアマキック2戦目、忘れもしません、M-1で1ラウンドKO負けしました。首相撲の連打で何もできなくてレフェリーストップ。

 

 

——首相撲が苦手だった?

というよりほとんどしていなかったのでやられ放題でした。

 

——そこでまた悔しさが爆発して成長された?

 

いや……試合がどこか怖くなっちゃって、チャンピオンを目標に出場はずっとし続けていたんですけど、ジュニアタイトルマッチに5連敗するとかどうってことない選手でしかなくて。練習でも強い仲間にやられてやめたくなったことも何度かあります。

 

——するとジム通いも毎日ではなくなった?

 

いや、それは絶対の日課でした! ジムが僕の一番大切な場所だったので。

 

——学校は?

 

寝る場所です!(笑)

 

——気持ちがいいほど言い切りました。小学生や中学生でそんなことが許されるのでしょうか?

 

授業中、どんなに起こされても起きないので、寝たまま先生に教室のドアまでぶん投げられたりしてました(笑)。

 

 

——令和まで間もない平成の話ですよね? またも笑い事ではない事態に聞こえます。

それでもケロっとしてるから、先生たちも怒るより呆れる方向にシフトしてくれたので“眠る権利”を勝ち取ったみたいな(笑)。

 

——授業中に寝る権利?

 

その換わり「殴るのはジムだけにしてくれ」と“学校で暴れない約束”をバーターにされました(笑)。

 

——その約束は守れたのでしょうか?

 

なんだかんだで友達との喧嘩は減っていって、気づけばほとんどしなくなってました。

 

——それはよかったです。もっと訊き出せばまだとんでもないエピソードがありそうですが、とにかく白幡選手の小中時代は、ほぼ龍道場と共にあったと。

 

前田先生と先輩先生たちには死ぬほど感謝していますし、今も試合会場で会えば笑顔で「ガンバレよ!」って皆言ってくれます。今、ボクのすべては橋本道場にあります。それは絶対で運命だったと感じますが、ドラゴン道場時代があってこそだったなって時々思い返します。

 

 

——まだ、18歳の白幡選手、橋本道場で王者となった現在までをお聞かせください。

 

ドラゴン道場の一件でぽかーんとなったいた時、遊び仲間でもあった選手から誘われて半年くらい他のジムに移籍しました。そこから沖縄遠征したりとか良い経験させていただきましたが、ちょっとして橋本道場につながります。

 

——きっかけは?

 

ただただ習慣で練習しているような毎日じゃダメだって、「強くなる」って原点に立ち返ろうと本気で思ったら、アマ時代に何度も戦って1度も勝てなかった橋本道場の看板がピカーっと頭の中で光って。

 

——ご自宅が町田市なら、橋本道場のある福生市までは相当の距離です。

 

橋本師範(敏彦会長)からは「まずは出稽古においで」と言われたのですが、その初回で「ココしかない!」感がヤバかったです!

 

——国内随一のチャンピオンファクトリーである橋本道場の練習は何が違いましたか?

 

まず、ガッチリ長時間で、濃くて無駄のない橋本師範の指導が行き届いているのと、選手たちの団結感がハンパありません。

 

——また、驚くのは、中卒後、橋本道場と高校進学を二者択一したとの決断です。

 

父親が「高校で勉強するか、キックボクシング一本で行くか?」と迫られて。

 

——両方頑張るという妥協案はなく?

 

お兄ちゃんは、それで高校に行って、卒業してからフライスカイジム経由で橋本道場入りしたんでプロデビューがボクよりも遅れました。お父さんは「半端はするな」って自分たちを導いてくれたんだと思っています。

橋本道場入門から2か月後の2018年10月21日、INNOVATIONの山梨流通センター興行、DAIKEN THREE TREE GYMの祐我戦です。判定3-0、30-26が三者で勝つには勝ちましたが、倒せたのに倒しきれなくて倒したかった試合です。「キックボクシングで身を立てる」って家族にも宣言して、応援に来てもらったし、忘れられない特別感がありました。

 

——その後、ここまで2年と少し、プロ11戦で他に印象に残る試合は?

 

初タイトルを獲った2019年12月1日、新宿FACE、

MuayThaiOpenスーパーフライ級、エイワスポーツジムの村井雄誠戦です。師範からタイトルマッチのお話をいただいて「ベルトを獲るなら誰より倍も練習しろ」と言われて、プロで一番最初に道場に行って、まだ少年部の時間帯に子供たちに交じってサンドバッグを蹴り続けて、試合は判定2-1、49-48が2名で48-49が1名で割れたショッパイ試合でしたけど、努力の結果が形になってベルトを腰に巻けたことがとにかく嬉しくて。ちなみに今も早く道場に行って走り込むとかは続けています!

——見ている側からすれば、昨年初頭の老沼隆斗戦が名勝負として印象深いです。

 

2020年2月29日、後楽園ホールのREBELSですね。あれは、多くの人から褒められたし、自分でVTRを見ても「いい試合ではあったな」と思います。けど、負けたら意味はありません。いや、その後の勉強になったから良い経験なのかな……やっぱり悔しいだけです。どんなにベストバウトだとか言われても、それで満足してたら成長が止まっちゃいます。ボクはもっともっと上に行きたいから。

 

——その“上”とは?

 

ハルト先輩(安本晴翔)みたいになりたいです!

 

——どういうところが?

 

師範に決めていただいた試合なら、団体や会場や相手やタイトルマッチだとか何も関係なくひたすらに勝ちにイクし、倒しにイク。とにかく“強くなる”ことだけに集中しているところに憧れます。

 

——ストイックに強さを追及する求道心。確かに安本選手にはそれを感じさせる佇まいがあります。それにしても地位やお金や名誉といった類の欲はないのですか?

あります! お金持ちになりたいです! 最近、ジムの近くに引っ越すことができて、次は、中古の軽自動車がほしいし、彼女をもっともっと笑顔にしたいです!

 

——Instagramで拝見しましたが、お綺麗と評判の彼女さん、その存在は隠さない?

 

はい、僕には出来過ぎた自慢の彼女ですから! 今、少しずつ生活も充実してきてるけど、数年後にはスーパースターになって、引退したら海外に住みたいです!

 

——海外はどちらに?

 

ハワイかアメリカがいいです!

 

——ハワイはアメリカの一部です。

 

えっ?(照笑) ボク、夏が好きなんで常夏のアメリカで毎日プールに入りたいです!

 

——南洋のハワイは常夏ですが、同じアメリカでもアラスカは凍てつく氷の世界です。

 

 

はははっ!(笑)

——意地悪な言い方ですみません。ついでそれを続けると、熱帯の東南アジアを拠点にするONEは、立ち技もMMAも含めて世界屈指の規模でトップファイターが世界中から集まる頂点の舞台となっていますが、例えばシンガポールのメガジムに移籍してONE王者のスターとしてプール付きの豪邸で悠々と活躍するなど想像しませんか?

 

あー、それはいらないです。橋本道場で強くなることしか興味ないです。ハルト先輩だって、橋本道場だから強くなったって、横で見ていてよく解ります。師範の指導を受けると確信できるんです。毎日「強くなってる」って。

 

——そんなジム愛が眩しい白幡選手ですが、キックボクシング以外に趣味などは?

 

んー、ないっすね。

 

 

——無趣味ですか?

漢字が読めないからマンガも好きじゃないし。テレビも見ないし。あ、格闘技の動画をずっと見てます。魔裟斗さんが好きです。2003年7月5日、K-1 WORLD MAXトーナメント決勝戦で前の年にKO負けして優勝を逃したアルバート・クラウスを左フックで倒して初優勝した試合が最高です!

 

——ちょっと閑話休題させてください。先ほどから試合の話で年月日や試合会場、相手のフルネームなどすべて克明に言われていますが、手元に資料でも持たれているのですか?

 

いえ、全部おぼえてます。興味がないことは無理ですけど、仲間や好きな選手の試合はそらで言えます。

 

——それは特殊能力過ぎます。是非、試させてください。白幡選手の階級で頂点の存在、石井一成選手の最近の試合は?

 

去年の12月6日、横浜大さん橋ホールでBOM、片島聡志戦、ダウンを獲って判定3-0、49-47、49-48、50-46で勝ち。その前は、10月29日で渋谷O-EASTのNO KICK NO LIFE、相手はユウヤさん(同門の岩浪悠弥)で2ラウンド2分9秒TKO勝ち。その前は、6月28日で●●●●●(コロナ警戒につき無観客イベントで会場非公開)のBOM、HIROYUKI戦、判定3-0、49-47、49-47、50-47で勝ち。その前は……。

 

 

——ちょ、ちょっと待ってください。異常です。

橋本道場の選手や自分の気になっている人の試合なら全部言えますよ。

 

——いつその能力に気づいたのですか?

 

去年だったか、仲間や師範と話しててなんとなく。

 

——それは映画「フォレストガンプ」のような……。

 

あ、趣味というか特技がもうひとつありました。家にいる時、ずっとゲームしています。プレステ4でUFCのゲームがあるんですけど、結構やりこんでます。

 

——やっと普通のティーンエイジャーらしいことが出てきました。

 

プレイにこだわりがあるんですよ。まず全部スタンドバトルモード(※3)。ここで毎回テーマを決めます。「今日はローキックで足を効かせてからパンチでKOする」とか。それで最難関のレジェンドで優勝とか余裕です。

 

——相当のゲーマーなのでは?

 

 

いや、このゲームでしかもスタンドバトルしかしないんでeスポーツとか無理です(笑)。けど、休みの日は、一日中ずっとやってます。

 

——白幡選手がゲームにまで練習を持ち込まれておられることがよく解りました。お話が面白過ぎて取材も長時間に及んでしまいました。ここで主題の次戦、INNOVATIONバンタム級タイトルマッチ、平松侑戦についてお聞かせください。これは2019年3月31日、判定ドローとなったところでの再戦にベルトが懸かることになりました。

 

 

自分の所属団体、INNOVATIONのベルトは絶対に欲しいけど、それよりもKOで勝ちたいです。ただ勝つだけじゃない、圧倒的なKOで。2年前に引き分けだった相手に大差をつけて勝てば、ボクが凄い強くなってる証拠ってことですよね。実際、その実感がありますから!

——平松選手の印象は?

 

2018年12月16日、岡山武道館の平松侑×壱・センチャイジム戦(壱の3ラウンドTKO勝利)は、イッセイ(壱の読み方)選手のセコンドについてたんですよ。センチャイジムさんと橋本道場が親しくて、その関係で。あの時は、キャリアに差のあった試合だけどダウンの奪い合いで凄い盛り上がっていたし、倒すパワーもあれば、テクニックも巧いし、気は抜けない相手ですよね。

 

——その後、平松選手も試合経験を積み成長しているに違いありませんが、それでもKO勝ちしてみせる?

 

はい!(ニコニコ) サウスポーですけど、ボク、左の相手、得意なんで。

 

——最後の質問です。試合舞台となる岡山ジム主催興行の印象をお聞かせください。

前回興行とその前で2回、行かせていただいています。とにかく色んな凄い選手が集まって豪華ですよね。一昨年(2019年11月17日)の原口健飛×森井洋介なんてヤバ過ぎました。トーナメントも毎回メンバーも内容も凄いし。今回の55kgトーナメントは、ちょっと階級が上ですが、自分も出てみたかったりします!

 

——現在、肘打ちあり、首相撲無制限の純キックボクシングルールで戦われることがほとんどですが、那須川天心選手擁するRISE(肘打ちなし、首相撲制限ルール)は、今年53kgトーナメント開催の噂もあります。

 

ルールは、どっちでもイケるから、興味あります。けど、まずはここで倒して勝つこと。ボク、ダウンは奪ってもまだゼロKOなんで今回こそは。師範の指導を受けて実践できれば全部大丈夫。色んな夢はあるけど、ひとつひとつ勝てば、全部、自然についてきますから。そんな環境にいることができてホント幸せです! 今、軽量級は、強い選手たくさんいますが、全部ボクの色で染めていきます!

 

※1 佐々木先生の兄弟 Krushスーパーライト級王者、佐々木大蔵と弟の涼助(引退)のこと。

 

※2  Twitterを見て驚きました 2016年9月25日、武尊や卜部功也、山崎秀晃といったトップファイターを含むほぼ全員のプロ選手が一斉にTwitterでチームドラゴン脱会をツイート。彼らはそのまま現在のK-1ジム相模大野KRESTに移籍し、K-1グループのリングで活躍をし続けている。新生K-1プロデューサーまで務めた前田憲作代表は、そのままK-1グループを離脱。残留した北井智大と平塚大士はRISEやRIZINで活躍している。日本を代表する名門ジムが何の前触れもなく短期間にこれだけのこととなった激震は相当のインパクトがあった。

 

 

※3 スタンドバトルモード 文中にあるゲームソフト「UFC3」などでは、MMAを主眼とした格闘技ゲームでありながら、打撃だけで戦うモードも選択できる。

リングネーム:白幡 裕星

フリガナ:シラハタ・ユウセイ

所属:橋本道場/Japan Kickboxing Innovation

生年月日:2002年8月11日(18歳)

出身地;東京都渋谷区

身長:162cm

戦型:サウスポー

プロデビュー:2018年10月21日

戦績:11戦9勝(0KO)1敗1分

ステータス:INNOVATIONスーパーバンタム級4位、MuaythaiOpenスーパーフライ級王者